Okkawa DsashiMatsuri



 私の古里は知多半島・豊浜である。今では、奇祭として「鯛祭り」が有名であるが、私が青年期になるまでは、私の住んだ「中村地区」と「半月地区」は山車があった。その他の地区は「張りぼての鯛」であった。子供の頃は山車につかまって「西瓜」や「冷菓」をもらうのが楽しみであった。そうした思いがあったから、半田・乙川地区に居住してからも祭りに参加したくて仕方なかった。                     丁度、厄才(数えの42)を前にして4年間祭りに参加できるチャンスがあった。私は、居住区に一番近くにさや(山車を入れる倉庫)を持つ浅井山に参加させてもらった。4年間の役について以下紹介する。

(39才)若い衆行事 中老行事の使いパシリである。この時、中老行事が何を行うかを習う。
(40才)梶方見習い 山車の前梶の責任を持つ。他地区の山車は軽いため、前梶でほとんど梶が切れる。しかし、乙川地区の山車は重いため(5〜6t)、前梶では切れない。つかまっているだけだ。
(41才)梶方 後ろ梶の責任を持つ。実際に梶を切るのは若い衆たちである。若い衆達に号令をかけ、山車運行(操作)の責任を持つ。声が1週間程つぶれる。
(42才)中老行事 いよいよ祭りの運営全体の責任を持つ。やりがいもあるが一番辛いのもこの役だ。旨くやって当たり前。下手をすれば罵倒される。相手が酒飲みばかりなので、喧嘩ばかりだ
42才以上 役は卒業する。この後は、保存委員や囃子方に徹するものもいるが、祭りに何らかの形で関わっていこうとすると、OB会(宮本会)に入って祭りを黒子になってささえるのである。


 乙川地区には以下に示すように4山ある。


中老行事の頃                 この衣装を我々は赤法被といっている。赤法被を着れるのは、若い衆行事と中老行事の時だけである。         首にかけた標識で山車の運行を指示する。山車を止めるのも動かすのも全て「カチカチ」である 首にさしてある金紙がついているものは、祝い込み等の時に使う。                            


乙川地区の祭りで(’97春)

 宮本会の一員として、祭りを盛り上げるための宴会。ここで酒をたっぷり飲んで、いざっ出陣!! 1日目は、宵宮祭りが8時半くらいまで行われる。もうこの時間くらいになると 酒がかなり利いている。


半田山車祭りで(’97秋)

 さやの前で、祭りの無事を祈る祈祷


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